JAFストーリー

029 孫たちが来る

 

 菅原敦子さんには孫が7人いる。近所の黒石市に住む長女のところに5人、東京に住む次女のところにふたりだ。

 

 東京に住むふたりの孫は、毎年、夏休みに遊びにくる。中学生と小学生。ここ最近はふたりきりで深夜の夜行バスに乗ってやってくる。

 

「前の年に来ればね、つぎの年の約束して帰るんですよ。あれこれ練ってね、行ったらすぐなにをするとかってね、ちゃんと決めてるんですよ」

 

 8月13日の朝に、孫たちが東京から到着することになっていた。弘前駅まで敦子さんが迎えに行く。

 

 敦子さんの愛車は、ワンボックスタイプの軽自動車。マニュアル車で走行距離は15万キロを超えた。

 

 孫たちが来る前日の12日の午後。とある踏切先の信号手前——

 

「ギアを入れ替えるために、踏んだんですよ、そしたらボキッて音がしたんですよ。そのままペダルが、前さ行っちゃってね」

 

 クラッチペダルが戻らなくなってしまったのだ。左側のクリーニング店の前に車を寄せるのが精一杯、そこでまったく動かなくなった。

 

「JAFにお願いして、どっか持っていけるところがあればと思ってね。いつも行ってるところは黒石の自動車屋さんだったけども……」

 

 浜田昌利隊員がやってきた。現場での修理は無理、とにかく部品交換の必要があると判断した。あちこちに電話してみたが、お盆休みでディーラーも修理工場も休み。自宅まで運ぶしかなかった。

 

「とりあえず運ぶだけになっちゃいますねって言ったら、ああそうなんだって、なんとなく、すごい残念そうだったんですよ。ああって……」

 

 孫たちとの約束が果たせない。そのことで敦子さんの頭はいっぱいになった。

 

 浜田隊員はレッカー車のなかで、敦子さんの様子が気になって、あれこれ話しかけた。すると——。

 

「実はって……東京から孫が帰ってくるんですよって、どっかに遊びに連れていきたかったんだけどねぇって……。そしたら、自宅の前というか、見える範囲のところに車屋さんがあったんですよ」

 

 浜田隊員は、あそこに行ってみたらどうだと勧めた。

 

「そこには行ったことないし、いつものとこばっかり利用してたので、ちょっと都合悪いなと思ってね。でも、都合が悪いって言ってられねぇんでねぇの? ってことになって」

 

 浜田隊員に勇気づけられて、敦子さんははじめてその修理工場に行ってみた。営業中だった。浜田隊員が不具合の箇所を説明してくれた。部品の取り寄せはお盆明けになるけれど、代車が用意できると言われた。

 

 そして無事、孫たちを迎えに行けた。海にも梵珠山のハイキングにも映画も行くことができた。プールも、焼肉も……。夏休みのあと、楽しかったと孫たちからメールがきた。

 

 浜田隊員の強いアドバイスがなければ、その夏休みはなかったと、敦子さんは何度も言った。