JAFストーリー

026 ハンサム

 

「世のなかにはね、ウインドサーフィンほどおもしろいものはないわよ。スキーもやったスキューバもやった、パラグライダーもやった、スノーボードもやった……でも、ウインドがいちばんだね」

 

 最初は、風の吹かない穏やかな水面に立っているだけで満足できた。それがある日、これではウインドサーフィンではないと気づき、単身ハワイのマウイ島に行く。1か月間コンドミニアムに滞在して、インストラクターの指導を受けた。

 

 それが60歳のころ。

 

「母が亡くなって、日記が出てきたのよ。自分のやりたいことをなんにもやらないで死ぬのはいやだって書いてあったわけ」

 

 50歳を過ぎた陽子さんがアクティブに生きるきっかけになった。それから「やりたいこと」をやり続けてきた。60歳でハワイに行き、ウインドサーフィンを楽しむ日々が続いている。

 

 ところが、今年の2月にスキー場で左膝を骨折してしまった。松葉杖の生活。ようやく3月30日に近所の美容院まで出かけた。

 

 ボードなどを運ぶために、陽子さんは大きなバンに乗っている。

 

 駐車場の前の道はせまく、入口のところのステレンスポールが折れていることにも気づいていた。入るときに大きくまわりこんだつもりが、内輪差で後部右側のタイヤがポールの折れた部分に触れた。

 

「涙出ちゃうでしょ。松葉杖でやっと歩いてるって状態だったのに……寒くて風が強い日でね。クルマを置いて降りて見たら、もうペッタンコだった」

 

 タイヤの横が裂けていた。駐車場から少し離れた美容院にたどり着き、保険会社に電話した。保険会社の担当者からJAFに入っているかどうかを確認された。

 

 美容院でのカットなどが終わるころ、店の前にJAFのレッカー車が現れた。

 

「美容院の前に止めて、隊員さんがさっさって降りてきて、待ってください、いま場所つくりますって言って……私がレッカー車に乗れように、足場を一生懸命こしらえてくれた」

 

 河北文昭隊員は、少し高くなっている助手席に、手足をかける場所を誘導しながら乗せてくれた。そのまま駐車場に移動。

 

「このひと偉いなぁって思ったわけ。私は、駐車場まで、松葉杖で歩く覚悟でいたわけ。だから、助手席に乗せてくれたので感激、ちゃんと手をかけるところや足をかけるところを見つけてね、やってくれたのにも感激。ありがたいなぁって思った。ひとの痛みがわかるひとは、ありがたいなって」

 

 駐車場に到着後、タイヤ交換はあっと言う間だった。そのあと、河北隊員は——。

 

「私を助けただけじゃなくて、ポールでほかのひとがパンクしないように、カラーコーンを移動したり、ちょっと叩いてトゲトゲがないようにしたり……。あなた偉いわねぇって感心したらね、ぼくはこの仕事が好きですからって言ったね。困ってるひとから、助かった、ありがとうって言われるのが、ほんとに、うれしいんですよって」

 

 元気よくしゃべっていた陽子さんの目が、ちょっぴりウルウルした。