JAFストーリー

023 淡々と

 

 山本由里子さんは都内在住。

 1月に、大学生の娘さんが住んでいる三島市まで車でいった。お昼ごろ、マンション駐車場に停めてあるクルマで買い物に出ようとしたところ、セルがまわっているのにエンジンがかからなかった。JAFを呼び、あちこち点検してもらったが、あいにく直らない。

 隊員に「あとはディーラーに持っていくしかありません」と言われた。

 

 ところがレッカー車が大きすぎてマンション駐車場に入らなかったのである。JAFの応援車両を呼んで牽引し、近くのディーラーに運んだ。が、部品の取り寄せなども必要で、いったん山本さん本人は東京に戻り、1週間後にまた三島に——。

 

 その修理中に、山本さんは取材依頼のファックスをくれたのである。そのときのロードサービス隊員の態度と仕事ぶりと笑顔がすばらしかった、と。

 

 山本さんに会いに行った。隊員の処置では直らなかったのに、彼女はものすごく感激していたのだ。

 

「JAFの救急隊員というのをテレビで観たことあるんですよ。そのときはテレビだから親切なのかなぁって思ってたんです。それが実際、テレビで観るのといっしょだって感じがしたんですよね」

 

 最終的にディーラーに運ぶという判断をするまでに、30分以上、隊員は驚くほど細かく丁寧に誠意をもってやってくれた。

 

「そこまで徹底してみていただいて、これはもう直せません、手は尽くしましたって言われたときに……」

 

 仕方ないとあきらめがついた。しかも最後に、と、山本さんの目は潤む。

 

「直してあげられなくてごめんなさいって言われたんですよ。それにはびっくりしました。直してあげたかったって」

 

 体格のいい、笑顔のいい、やさしそうな感じの、背が高くて、40代くらいじゃないかなと山本さんがおっしゃる沼津基地の鶴田悟隊員は、実はちょっと小太りの30歳だった。

 

 月平均100件前後の救援要請を受けるという彼には、今回の場合も、まったくいつもと同じだったという記憶しかない。

 

「動かないクルマをみるときは、ひとつひとつ順番に、消去法じゃないんですけど、こういう状態だとまずここをみて、ここが大丈夫ならつぎはここをみて」

 

 と、あちこちにテスターをあてたりしながら地道にやっていくしかないのだと言う。今回の場合は、最終的にはガソリンがエンジンまでいってないとしか考えられず、ディーラーまで運ぶことにしたと作業記録を見ながら思い出してくれた。

 

「応急処置って名目でぼくらも仕事をしてるんで、やっぱりできないと、なにもできなくて申しわけありませんという気持ちになりますね」

 

 山本さんの感激を伝えると、身にあまる光栄です、と、彼は照れた。

 

「特別なことはやってないんですけどね」