JAFストーリー

017 ヒーロー

 

 高速道路でのトラブルは二次災害の防止に努めなければならない。

 

「高速道路は、早く行って、いかに早くその場から去るか、ですよね」

 

 今回救援に駆けつけた安倍正治隊員は隊員歴13年のベテラン。今回の救援では、現場に到着してから処理完了まで12分だった。迅速な処理こそが、高速道路の鉄則なのである。

 

 さて、話は8月の終わり。森田勉さんは自分の家族と妹の家族と両親、あわせて10人で島根県浜田市まで1泊旅行に出かけた。クルマは2台。その帰り。森田さんのクルマには甥の隼人君(6歳)と娘の彩音ちゃんと、お義母さんが乗った。

 

 帰り道は、出雲から米子に出て米子自動車道を南下するというコース。落合ジャンクションの2キロほど手前で、突然、森田さんの車のハンドルが取られた。

 

「なんか、恐ろしい揺れかたをするわけですよ、深いわだちを走ったときみたいに。ちょっと恐ろしかったんで、いつ止まってもいいようにとりあえず左によけて、ジャンクションが見えたところでとろとろと、ハザード出しながらゆっくり走って……中国道へ合流するところで加速しようかなと思ったら音がした。揺れじゃなくて音がした。ゴックンゴックン……ハンドルをしっかり持ってないとどこへ行くかわかんない状態……」

 

 パンクである。クルマを路肩に寄せる。非常電話をかけるとすぐにJAFにつないでくれた。森田さんはいつも冬になるとスタッドレスタイヤに履き替えるので、タイヤ交換には慣れている。

 だが——。

 

「うしろに三角板1枚で、高速でそんなことをやる自信がなかったから、JAFにきてくれって」

 

 賢明な処置である。

 

「ところが、最初にきたのが軽トラだったんですよ、こんなおっちゃんになにができるんやろう、さすがのJAFもこんな田舎にはおっちゃんしかおらんのかな、と」

 

 実はそれは後方警戒車両で、パイロンを置き、安全確保を任務としている。その後、安倍隊員が到着。12分で処理を終えた。

 

 そして——。隊員の到着から作業終了までをそばで見ていた甥の隼人君にとって、これはもう大変な出来事だった。もともと彼は大のクルマ好き。

 

「帰りのクルマのなかでも、その話ばっかりですよ。すごかった、かっこよかったって」

 

 取材にいったときも、隼人君は、おもちゃのブロックで森田さんのクルマとレッカー車をつくっていて、どんなふうだったかをあれこれと説明してくれた。

 

「ぼくのいるところの近くにないからね、JAFのおるところが。もうちょっと遠いところにあるねん。新幹線のところをずっといくと、JAFのレッカー車が見えてくるんや」

 

 と、興奮ぎみに教えてくれた。近くに基地がないことが不満なほど、6歳の少年のJAF好きは、あの日以来特別なものになった。