20年ほど前に和美さんのお父さんが八ヶ岳の山麓に別荘を建てた。そのコテージでの出来事。
「サンケツって言ってるんですけど、最低でも月に2回は行かないと山欠乏症って感じで……」
山小屋の窓を開けて空気を入れ換えることも必要だが、「ぶんた」という名の大きな犬を散歩させたり、仕事をしたり、週末は八ヶ岳で過ごすことが多い和美さんである。
4月17日。
「日曜日の朝です。動かないんですよ、なんかに引っかかって。バックに入れても、ググググって言って。それで4WDのスイッチに切り替えてやってみてもダメだったんで……へんな匂いもしてきたような気がして、こういうときって、経験から、無理やりやっちゃいけないなって思って」
車からおりて下を覗くと、大きな切り株に乗りあげていた。
和美さんは、すぐにJAFに電話した。
「ずっと運がいいって思ってたのに、きっと、運を使い果たしちゃってこういうことが起きたんだって思って、罰が当たったんだぁって思って……しょんぼりしてたんですよ」
やってきたのは小松浩司隊員。28歳。和美さんには30歳をこえているように見えた。
「すごく、その隊員のかたが落ち着かれてて……そういうお仕事なんだと思うんですけど、こうしてみましょうって言って、しばらくこう……なんかジャッキでうしろを上げたりとか、そういうことをされていたのを、ただ私はもう、見てるだけ、みたいな感じで」
和美さんの車にはメーカー純正のエアロパーツがついていた。
「それで車体が少し低くなってたんです」
と、小松隊員。
「それをうまくよけてからジャッキを入れて、そのタイヤの下に木材を入れて……」
小松隊員がもっとも気にしていたのは、車体に傷をつけないということだった。慎重に、安全に出すというのがいちばんのポイントだ。
「何度も何度も、ちょっと動かしては車の状態と切り株の状態を確認しながら作業しました」
30分ほどで作業は終了した。
「どうしようって悲しくなってたのが、隊員さんと話してたら、すごく気持ちが落ち着いてきて……それって、やっぱり対応によるのかなぁって。緊急時に、慌てちゃってますからね、こっちはね、だから……ちゃんと教育もできてるんだなぁって」
なによりも和美さんの記憶に残ったのは、隊員の落ち着きぶりだった。
「印象的でしたね。どっしりしてるって感じで。なんか切り株みたい」
そこまで言ってから、ふと気づいて、和美さんは言い直した。
「切り株じゃなくて、大木みたい……そんな感じでしたね」
切り株は、和美さんが後日、チェーンソーで平らにしたそうだ。