「お嫁に持っていく着物を買ってくれるゆうんで……」
12月。結婚を目前に控えていた麻美さんは、おばあちゃんに着物を買ってもらうことになった。着物をつくるのには、いくつかのプロセスを経る。そういう打ち合わせのために、麻美さんは、おばあちゃんを迎えに行った。
麻美さんは、十二単の着つけ免状を持っている。それほど、着つけのことを、きちんと習ってきた。新しい着物を買ってもらうのはうれしい。
「できあがった日やったんかなぁ、あれ……」
麻美さんが訊く。
となりで88歳のふみ子おばあちゃんが答える。
「寸法取りに行く日やってんな……」
ふみ子おばあちゃんの記憶のほうが、正確だ。
「私をね、迎えに来てくれましてん。呉服屋さんに向けて行こう思て」
淀みもなく、明快なおばあちゃんなのである。
風が強く寒い日だった。
山に面した集落におばあちゃんの家はある。
足が悪いおばあちゃんのために、麻美さんは、わざわざ庭先にクルマを入れて、玄関前につけようとした。
家は坂道に面している。家の手前は石垣で、向かいは高いブロック塀だ。細い坂道は家の先でゆるく蛇行している。
「いつもおじいちゃんが軽トラに乗ってシュイって止めてるから、私もいけるやろ、みたいな」
細い坂道から直角にバックしてクルマを入れようとした。
はじめての経験だった。
バックをはじめるのが少し早すぎた。
クルマの後部が石垣にぶつかりそうになり、だめだと思って前に出し、何度かハンドルを切り、前後に動かしているうちに——。
「前にも行けへん、うしろへも動けへん」
おばあちゃんが、そのときのことを思い出して、笑う。
「ようこんな、うまいこと入ったな」
と、おばあちゃんがあきれるほどみごとに、クルマが真横になって、坂道をふさいでしまったのである。前方にブロック塀。うしろは石垣。
「ほんとにもう、あそこのサイズが私の車のサイズとぴったりだったんです」
クルマの全長と道幅が同じサイズだということを、麻美さんはそうやって知った。
驚きつつも、もう、自分の運転では、どうしようもなかった。
JAFを呼んだ。
高田康司隊員がやってきた。
「せまい坂道です。なので、レッカー車は坂の下に止めて、ガレージジャッキを持って、坂道を歩いてあがっていきました」
京都の街中とか山の近くとかは道がせまく、同じようなトラブルは少なくない。レッカー車をたんぼの脇に置いて、高田隊員は、重い工具を持って坂道をあがった。
「ぜんぜん隙間がない状態で……」
ごく単純なトラブルのように、高田隊員は、そのときの様子を話した。道幅いっぱいに、クルマが横向きの状態。そんなことが、わりと頻繁に起こる。それが京都である。
「ジャッキを入れて、そのまま平行に振る感じですね」
ガレージジャッキは車輪がついているので、車体の下に入れ、平行にずらす。
「少しずつ振って、降ろして、それを何回か繰り返して脱出させました」
石垣とブロック塀のあいだはさまってしまったクルマは、そうやって、ゆっくりと回転したのである。
「すぐでした。傷もぜんぜんつかへんかったし」
麻美さんは感心している。
携帯電話でそのときの写真とか、撮ってないんですか? と訊いてみた。
「撮ってないです。恥ずかしくて、よう撮らないです」
と、麻美さん。
「いまから思たかて、ほんま、ようあないにうまいこと入れたな思いますわ」
おばあちゃんは何度もそう言って、笑うのである。