子どものこころを

まんなかに


9. 夢

明治大学 子どものこころクリニック」院長・山登敬之さんとの対談。これが最終回である。テーマは「夢」。

 子どもにとっての「夢」とはどんな意味があるのか。「夢」は人生にどういうふうに役立つのか……なんてことを語りつつ、60歳を過ぎたわが身にとっては、自分の夢はいったいどこにいってしまったのか、などという自問自答にもなるわけで……。なかなか複雑な対談になった。

 

私の夢一覧表

松尾「さて、今回のテーマは夢、なんですが……」

山登「こないだ、実家で発掘してきたものがあってね。『私の生い立ちの記』っていう、こんな分厚い冊子なんだけど。小学校のときにね、卒業にあたってつくらされたんだよね」

 

 リモートでやってる対談なので、目の前のパソコン画面で、山登さんは電話帳くらいの厚みのある冊子を見せるのである。

 

松尾「それは、子どもたちの作文?」

山登「自分の作文。『自叙伝第1巻 私の生い立ちの記』っていうタイトルがついてる。国語の教師が担任だったんだよね。それで学年全体の事業として、子どもたちにつくらせることを思いついたらしい。中身は原稿用紙に手書きなんだよ。国語の時間に書いた作文を6年分、万年筆で清書して、たばねて1冊にしてるのね」

松尾「万年筆で清書するのは誰?」

山登「自分。友だちにも書いてもらうわけよ、山登くんとの思い出みたいなやつを。親や親戚にも書いてもらって原稿を集めて、先生たちは先生たちで生徒全体に向けた文章を書いて、それを全員分ガリ版で刷って……」

松尾「それは、1年生から6年生までの間……」

山登「作文って、返してもらうじゃん。これ、コースがあってさ、おれのはいちばん分厚いコースなんだけど、もっと薄くてもいいわけ。作文きらいなやつは、そんなにたくさん書けないだろうし、捨てちゃった家もあっただろうし……そうすると、友だちから書いてもらうのと、先生が書いた共通のやつしかないから薄いわけよ。それはそれとして……そのなかに『私の夢一覧表』というのがある」

松尾「なるほど」

山登「6年生のときにクラスでアンケートを取って、教師が1枚にまとめたわけよ」

松尾「誰々くんの夢はなんとかって書いてあるわけね」

山登「そうそう。生徒の名前と、その下に私の将来の夢……」

松尾「山登さんはなんなの?」

山登「おれはね、小説家って書いてる。クラスが59人いたのよ、ひとクラス……」

松尾「当時はね」

山登「それだけいたのに、女は16人しかいないんだよね。男43対女16なんだけど、作家・小説家になりたいって書いてるやつは5人しかいなくて、男はおれだけなの。あと4人は女の子」

松尾「女の子の小説家志望率が高い」

山登「男は、いちばん多いのが医者なんだよね」

松尾「あ、そうなの?」

山登「医者が10人いて、歯医者もふくむと12人」

松尾「そういう学校だったの? お医者さんが多い……」

山登「そういう学校……末は博士か大臣かっていうけどさ、大学の先生とか学者とかって書いたのは3人くらいで、おもしろいことに、教師って書いたやつはひとりしかいない。男ひとり。みんな先生にはなりたくなかった」

松尾「学者や医者ばっかりなのね。スポーツ選手とかはいない?」

山登「スポーツ選手は、男で野球選手がひとりで、卓球選手がひとり。それだけ。いまだとさ、YouTuberとかが上にいくのかもしれないけどさ」

松尾「そうだね」

山登「卒業が1970年だからね」

松尾「昭和45年だ」

山登「そう。万博の年」

松尾「そうそう、万博……」

山登「時代だよね。子どもの夢なんて、いまと昔じゃずいぶん違うんだろうなと思う」

松尾「そりゃそうだ」

 

 小学校の6年間で書いた分量をまとめたにしろ、山登さんが小学生のときに書きためた作文の束は、ずいぶんと分厚いものだ。まじで電話帳くらいの厚さなのだ。小説家になりたかったという山登さんは、作文が大好きだったのは間違いなさそうだ。

 

松尾「夢っていうのは、将来、自分がおとなになったときの自分像じゃない?」

山登「そうだね。だから、これは、将来つきたい職業だよね」

松尾「それをなんで夢っていうのかな」

山登「ねぇ」

松尾「仕事につくことがいいことなんだ」

山登「その問題はあるけど、職業っていうのは、すごく具体的じゃない? おとなになったらなにになりたいって……たとえば、人のためになる仕事につきたいとか、世界平和のために働きたいとかさ、そういうんでもいいわけだよね。だけど、具体的にいったら、スポーツ選手だとか宇宙飛行士だとかさ、そういうことになるんじゃないのかね」

 

人生の成功と幸せを想像する

 子どものころのあるタイミングで、おとな、もしくは学校の先生は、子どもたちに「将来の夢は?」と問うわけだ。「ウルトラマンになりたい」「お姫さま」なんて答えた時期もあるのだろうが、しだいに「どんな職業につきたいか?」ということに集約されていく。

 

松尾「だいたい卒業のときに、私の将来の夢と書かせるよね。教育上なにか有益なものがあるっていう判断があるのかな、そういうことを言わせるってことは」

山登「前向きにとか、上をめざしてとか、そういうのがあるんじゃないの?」

松尾「ある程度、自分の将来みたいなものを見据えたほうがいいねってことなのかな」

山登「人生の成功ってなにかっていうことが、おとなの頭にあるわけじゃない。あと、幸せ、とかさ。必ずしも、社会的な成功は幸せにはつながらないわけだけど……」

松尾「もっと言うと、まともなおとなというか」

山登「そうそう……」

松尾「夢っていって、遊んで暮らしたいっていうのはナシでしょ?」

山登「ナシだね。でも、それでもいいよね」

松尾「それこそが夢でしょう? 夢っていうのはそういうことじゃないかな。遊んで暮らしたいっていうのは、まさに夢……」

山登「それはダメなんだろうね、きっと」

松尾「ダメなんだね」

山登「そんなこと言おうもんなら……」

松尾「でも、そっちのほうが夢だよねぇ」

 

松尾「いま、YouTuberなんていうのは、子どもが触れることが多いからだと思うけど、たとえば、雑誌編集者とか『週刊プレイボーイ』でグラビアの仕事をするなんてことは、まったく……入社するまでわからないわけだからね」

山登「だいたい、松尾くんは、心理学科に入ったわけだからね」

松尾「大学では心理学専攻ね。だからといって、なにをしたいってわけじゃなかったんだよ。おもしろそうだとは思ったけど、心理学は夢ではないわけだよね。山登さんの小説家っていうのは、具体的だった?」

山登「おれは、いちばん厚いコースを選んでるからさ、作文は好きだったんだよね」

松尾「でも医者になったってことは、小説よりもっとすごいものがあるってことに、大学のあたりで気づいたわけ?」

山登「ぜんぜん気づかないよ。いまだって小説家になれるものなら、なりたい(笑)。やっぱり夢が叶うって人は努力を惜しまない人じゃない? いやなことを我慢してやってるわけではなく、好きなことを追いかけていけて、その果てに夢が叶ったわけだよ。それだけ強いものがあって、そこに向けて努力ができるタイプの人だよね」

 

松尾「好きなことだけやってればいい、そこがいちばん努力しやいすし、才能を伸ばしやすいっていうのは、最近よく言われるね」

山登「言われますね」

松尾「たとえば小説家になりたいと思ってる子が、演劇に触れたときに、それはそれでグッとのめりこむなにかがあるわけだよね。小説から離れてる場所じゃなくて……」

山登「まぁ近いね」

松尾「それを少しずつ伸ばしていくっていうか……自分の好きなことを中心に、自分自身と向き合う、しかも、将来ってものを視野において……時間軸として10年後20年後を考えましょうっていうのが、夢なのかな」

山登「誰に教えられるわけでもなく、自分の適性とかやりたいこと、これはおもしろそうだっていうのを見つける感性なり、子どもなりの知恵なりっていうのは必要なんじゃないの? でも、ボーッと生きててもなんとかなる人はなんとかなるし。べつに夢なんて大それたことを考えなくても、選んできた道で満足してる人も大勢いる」

 

自立する準備

松尾「海外って、子どものときからお金の話をするんだってね」

山登「はいはい、しっかり教えている」

松尾「お金の教育というか……たとえば、事業を興してどうやったらお金持ちになれるかとか、お金持ちになるにはどうしたらいいか、っていうのをクラスで話させて、じゃあお金持ちになったらどうする? っていう……お金持ちになったつぎの話をさせる。そうすると、こういう団体をつくって環境問題を考えようとか、ビル・ゲイツみたいなことを言いだすわけ。そういうふうに子どもの思想を広げていくっていうんだけど、日本は、そういうのはないじゃない? お金を稼ぐなんてことを言っちゃいけないみたいに言われちゃって……そういうのは、国によって考えかたが違うんだろうね」

山登「お金のことをちゃんと教えといてくれよ、税金のこととかって、おとなになって思うもんね」

松尾「税金のことって、ほんとに、仕訳のノウハウとか、なんで子どものときに教えてくれないのか……」

山登「そうそう。もっとリアルな問題として教えといてくれれば……おれたちの税金がこういうふうに使われてるって知ってたら、ちゃんと政治にも関心持つわけじゃない。投票にも行くようになるし。こんな政府じゃだめだって、きちんと言えるだろうし。だけど、その仕組みがぼんやりとしかわかってないから、それはまたべつの話みたいになっちゃうよね。リアリティがないっていうか」

松尾「そもそも、将来の夢はなんですかってところからして、実はリアリティはないわけじゃない? 心理学的に言うと、そのあたりはどういうふうに解釈されてるんですか」

山登「思春期くらいになると、子どもからおとなになっていく過程で、自分の将来も見据えるわけじゃない? 親元を離れて、自分でメシを食ってかないといけないっていうのは見えてくるわけだから、基本にあるのは自立の問題だよね」

松尾「自立をしなきゃいけない前段階の心構えというか、動機づけとして、というふうに誘導していくわけかな……」

山登「誘導していくってことはないだろうけど、学校教育っていうのは、国を支える人間を育てないといけないわけだから、その日暮らしが夢とか遊んで暮らすのが夢とかいうやつが増えたら困るわけだよ(笑)」

松尾「そりゃあね」

山登「ガキの頃から生活保護でもいいからなんて言ったら、この穀潰しが! ってことになるからね。だから、それなりの人間にするために、教育カリキュラムがあるわけじゃないですか」

 

松尾「お台場にあるよね、キッザニアだっけ?」

山登「体験できるってやつ……」

松尾「体験できる……世のなかには消防士とケーキ屋さんとサッカー選手しかいないと思ってた子どもたちを連れて、いろんな仕事があるんだな、お菓子工場とかデザイナーとか、みたいなことがわかってくる、と」

山登「会社に行ってるけど、お父さんて何してるの? って、具体的に父親がなんの仕事をしてるのかわからない子どもは多いよね。昔だったら、お父さんが豆腐屋さんやってたり八百屋さんやってたり、町内でこういう仕事をしてるっていうのが、子どもの目に見えたわけだから。給料取りが増えていくうちに、うちの親父は朝出てって夜帰ってくるけど、会社ってところでなにをしてるんだろう……ってなってきた。手っとりばやくイメージできるのは目に見えるものだから、夢っていえば消防士と警察官とサッカー選手みたいにことになっていくわけだよね。身近に見えるものに自分の将来を重ねて……」

松尾「将来の夢は、サラリーマンっていうのはいるのか?」

山登「最近は、サラリーマンとか公務員とか書くやつ、いるんじゃないの? 安定した自分の将来を見据えて……さっきのね、『私の夢一覧表』によるとさ、もちろん公務員って書いたやつはいなくて、サラリーマンって書いたやつもいなくて、会社社長っていうのは何人かいるんだよね」

松尾「それは親が社長?」

山登「親が社長。跡継ぎ。だから、ボタン会社社長とかってみょうに具体的にさ、かわいいこと書いてるやつもいたけどね」

 

夢と収入

 最近は「いつか、夢は叶う」という夢みたいな話ばかりではダメだ、という風潮もある。「夢を追いかけるのはすてきなことだ」「夢を追いかけない人生なんてつまらない」というのが、少しばかりプレッシャーになっているのではないかという議論である。

 確かに、それはある。そこが、実にむずかしい。

 

松尾「夢を語らせるということは、自立して社会に出たときの自分をイメージさせる……ということかな」

山登「つらくて苦しいことばっかりじゃ、子どもも前を向いて自分の人生を歩いていこうと思わないだろうから……。

 昔のおとなって、そんなことじゃ社会に出て通用しねえとか、そんなこと無理に決まってるとかさ、すぐに言ったもんね。いまはどうなんだろうね、漫画家になりたいって子どもが言ったら、親は反対するのかな……お笑い芸人とかアイドルとか」

松尾「漫画家もアイドルもお笑い芸人も、がんばれるならがんばればいいじゃんって言うだろうけど……いまは、あまり『夢は叶う』って言わないほうがいいっていうね。たとえば、高校とか大学くらいで、ぼくは演劇をやりたいんです、芝居で食っていきたいんですって言ったら必死で止めると思うんだけどね」

山登「止めるよね」

松尾「成功してない例をたくさん見てるから……お笑い芸人とか大変なこともみんな知ってるから、その夢はしゃれにならない気はするよね。下北沢界隈には、アルバイトしながら役者をやってる人たちがたくさんいる。あれもまた、夢っちゃあ、夢でしょう?」

山登「夢っちゃあ、夢だ。どんな年齢だって夢を追ってる人はいるわけだよね。おれたちが卒業したころは、バブルに入る前のイケイケな時代で、夢に向かってフリーターです、みたいなやつはいっぱいいたよ」

 

松尾「子どもの夢じゃなくなっちゃうんだけど、そのあたりの年齢の夢っていうのも、タチが悪いっていうか……」

山登「うん」

松尾「最近、よく、私の奥さんにも言われるんだけどね、たとえば、この『極楽パーティ』なんてサイトをやってるのも、若いときに役者やりたいとか小説で売れたいっていうのと、似たような状況になってるなって思うんだよね、60過ぎて。売れるとか金になるとかわからないのに、なにをやってるんだ、と」

山登「夢を追ってるんでしょ(笑)、松尾くんは」

松尾「そうだよね、夢を追ってるんだよね」

山登「夢を追ってるんだ」

松尾「松尾伸彌って何者なのか知ってる人はひと握りなんだけど、サイトをやるっていうことは、それを世界中に知らしめるわけだから……とにかく、おれはここにいますっていうのを発信しとかないとダメだと思ってるし、これからの時代、それしか道はないだろうと思ってやりはじめたんだけど、お金にならない……」

山登「ならないね……でも、もう、松尾くんは金にならなくてもいいんじゃん?」

松尾「そういうことでもないけどさ」

山登「そこがむずかしいところで、それが自分の食い扶持になってないと、あんたのは道楽でしょってことになるじゃない?」

松尾「なるなる、なるね」

山登「おれも医者をやりながら芝居やってたけど、それは道楽だよね。やってるときは真剣なつもりで、ほんとに、こっちでやれるんだったら医者なんかいつ辞めてもいいくらいのつもり……だったけど、それも夢だね。自分にコンプレックスがあったのは、それが社会に認められなかったこと……おれが劇作家だとか演出家だとかなんて、ぜんぜん認められてないのに芝居やってますなんて言えるか、と。しょせん先生の道楽なのよ……あんなに一生懸命やったのに(笑)」

 

松尾「漫画家も……少年ジャンプに連載が決まるっていうところがメジャーへの第一歩で、描きはじめる、たまる、コミックスが出る、爆発的にヒットする、アニメになるっていう成功のパターンっていうのがある。だけど、いまの時代……最近よくあるのは、エンピツ画ってあるじゃない。やたら緻密なコーラの缶とか、ネコとか……どう見ても写真にしか見えないってやつ」

山登「あるね」

松尾「描いてるのは高校生とか中学生とか。美術学校なんて行ったことがないとか、いるでしょう? コツコツとなにかをやり続けることで、ある日、突然、YouTubeで盛りあがったら、訪問者が増えると。そこに広告を貼ればお金になっちゃうってことだよね。どこかの展覧会で賞を獲らなきゃ美術家として認められないっていう時代ではなくなっている、と。だから、おれも、最近、小説をちょっとずつアップしはじめたんだけど」

山登「読んでるよ」

松尾「とにかく、細々でいいから発表しているってことが大切なのかな、と……」

山登「社会に認められてるってことはさ、お金にならなくても、たとえば、自分が描いた絵をアップしたら、“いいね!”が何万もつくとかさ。そこで満足している人もいるでしょ、きっと。それは趣味でやってて、ほかの職業に就いている人はいるだろうし……子どもがそれを考えたときに、お金がどれだけ入ってくるとか具体的には考えてないと思うんだけど、結果、そこにつながって夢を叶えたっていうふうになる人もいるだろうし……。夢と職業っていうのも、重なってるけど、ちょっと微妙だよね」

松尾「YouTubeって、基本、パソコンのカメラの前でなにするか。ここでおれがいまからお笑いやりま〜す、ひとり芝居やりま〜す、っていう……たとえば、おれがメイクをはじめて、すごくかわいい女の子になる、それが人気になればYouTuberになれるってことで、なにをやってもいいと……」

山登「コンテンツだよね。新聞の4コマ漫画みたいなもんで、毎日毎日、アイデアを絞り出してつくっていかなくちゃいけないわけでしょ、それはそれで、才能と努力が必要だよね」

 

 結局は、才能と努力……という話になる。夢を叶えるために必要なものは「才能と努力」。これはまったく否定できないのだが、そうすると、夢というのはたいそうシビアなものでもある。重いし、つらい。

「ぼくの夢は、遊んで暮らすことです」という呑気なものがあってもいいのではないか、と、わりと本気で思う。

「自分が好きなことをやる、これが成功の秘訣である」という言葉もまた真実だろう。才能と努力、ではなく「ついついのめりこんでしまえる、なにか」をやり続けること、これが人生の幸福とも言えるのではないか?

 

自分の人生をデザインする力

山登「子どもも、だんだん現実がわかってくるわけだよね、成長していくと。メジャーリーグ行くぞってリトルリーグでがんばってても、大谷翔平にはなれないなとかさ。メジャーに行かなくても日本のプロ野球くらいでなんとかやれたらな、甲子園には行きたいとかさ、そこでだんだん現実と夢を秤にかけて、いいとこまで行ったから、やるだけやったから、みたいになって、ふつうに会社員になるとか、べつのことをやっていく人もいるわけで。つねに、現実を秤にかけて、ものを考えて、そこで選択していくわけじゃない? もちろん、時代の空気もあるだろうし……。

 自分で自分の人生なり生活をデザインする力を、子どもにはつけてやんないといけない。だから、お前なんかにできっこねぇとか、社会はそんなに甘くねぇとか、そういうくだらないことは言わないでほしい。自分なりの人生っていうものがあるんだっていうこと、自分の好きなように生きていいんだっていうことは教えてあげないといけない。そのかわり、その責任はあんたが取るんだよっていうことも同時にくっついてくるわけだよ。子どもによっては、そこでペチャンってなっちゃう、責任の2文字に。自己責任とか4文字で重さが2倍になっちゃったりして。そこんところは、教育の仕方がむずかしいかもしれない」

 

松尾「一定の社会のなかで、その子がほんとうに、ペシャンとならずにすくすくと育つ……ほんとにあんたはうまいこと生きてきたねって言われるのがベストなんだけど、その社会が、彼とか彼女が言ってる夢を受け入れきれないと、甘いこと言ってんじゃないわよとかって、ペシャンコにさせられるわけじゃないですか。

 たとえば……もう20年以上前の話なんだけど、バリ島でロケしてるときにね、こっちは女の子を連れてロケしてるんだけど、コーディネイトやってくれるバリ島の若い男の子が、ぼくはカメラマンになりたかったんですよねって言ったのね。やればいいじゃん、まだ若いんだしって言ったら、そんな仕事はここにはないんですよって言うわけ。バリ島ね。だけど、いまこの時代になると、バリ島でカメラマンはアリなんですよ」

山登「そうだよね」

松尾「きれいな風景をネットで配信とかもできるし……っていうことで、その時代はカメラマンなんて職業は、その社会にはなかったけど、いまなら、ある」

山登「可能性がね」

 

松尾「夢の話をすると、お金の話になっちゃうのが、なんか悲しい……でも、それは仕方ないのかな」

山登「夢を叶えられた人なんか少数派じゃないですか。それでも、自分にはこういう夢があったけど、いまこういう生活をしてるけど、これはこれで満足っていう人もいるし。夢を叶えることばっかりが人生ではないけども、それはひとつの人生を引っぱる力でもあるし、それを否定することはできないよね。夢が叶わなかった人間がダメかっていうと、そうじゃないし」

松尾「子どものときに、きみの夢はなに? って聞かれて、思いつかない子もいるでしょう?」

山登「うん、いるでしょうね」

松尾「べつに将来やりたいことなんてない。スポーツも得意じゃないし……勉強も好きじゃないし」

山登「子どもが学校行かなくなっちゃって、ウチでゲームばっかりやってるって相談に来た親が、うちの子、eスポーツやるって言ってますって。でも、それってなかなかね……」

松尾「そうなんだよね。eスポーツの世界でチャンピオンになれるっていうのは血の滲むような努力と反射神経が必要なわけで……」

山登「それに、ああいうのってチームでやるから、引きこもってちゃあさぁ。もちろんオンラインでコミュニケーション取れるくらいの力があればいいけど、大会に出るときは、実際そこの会場に行かないとダメなんだから」

松尾「引きこもってちゃあ、ダメですよ、人生は」

山登「そういう一時期はあっていいかもしれないけど……」

松尾「まあね」

山登「ずっと引きこもっていられるとしたら、それはそれである種の才能かもしれないけど……」

 

松尾「夢っていうのは、世間と接触するときのイマジネーションかもしれないよね。なにかやりたいことがあるんだったら、引きこもってちゃできない、だったら1歩外に出てボールを蹴ってみようか、っていうふうに、子どもを誘導してるのかもね。夢ってなにかっていったら……」

山登「子どものころ、かわいい夢を持っていて、世のなかを知ったときにダメだぁってなっちゃって、そこで引きこもったまんまっていう子は、かわいそうなわけだよ。そんなに世のなかは甘くないって気づいてからの人生じゃない、むしろ」

松尾「引きこもるってことは、引きこもる理由があるってことですよね。ふつう、子どものときは走りまわっていて、友だちができて社会生活を営んでるんだけど、なにかがあって引きこもってしまう……」

山登「それが実は、はっきりした理由があるとも限らないんだよね。成長していく過程で怖くなっちゃうの、外に出るのが。人目が怖いのかもしれないし、人からの評価が怖いってのもあるだろうね」

松尾「社会的に適応できなくなるから、居場所がないので引きこもる、というようなこと?」

山登「引きこもると、未来も閉ざされちゃうわけだからさ、夢どころじゃないわけよ。引きこもってウチでグータラして、その日暮らしでラクしているかっていうと、ぜんぜんそうじゃなくて、いつも不安と焦りでいっぱいなわけ。将来どうなるんだろうっていう思いでつぶされるから、明日のことさえろくに考えられないわけですよ」

松尾「なるほど……」

山登「そういうことが続いていくのは気の毒だから、すぐにウチから出ていけなくても、外とのパイプは確保しておいてあげましょうって、まずそこからやってるわけですね、引きこもり支援というのは」

松尾「そうならないためのいろんなチャンネルとして、夢とか、想像力っていう設定なのかな。将来は、あれもできるこれもできるっていうふうに、いろんなチャンネルを設定しておく訓練なのかなぁ……。

 将来の夢について考えるのは、つねに楽しい作業のはずじゃない? 楽しい想像をするわけだから。サッカーやりたいなぁとか……サッカーで走りまわっていると大変なことはいっぱいあるけど、その先に自分が行くべき道があるんじゃないかと思えている、と。プラスの思考っていう前提はありますよね」

山登「それはそうだよね。好きなものを見つけて、好きなことのために一生懸命やってるっていうのはさ、とても幸せなわけじゃない? だから、幸せでいいんだよ、好きなこと追いかけていいんだよっていう……そこのところを、ポジティブに伝える、子どもにはそういうおとなが必要なんじゃないの?」

 

松尾「むずかしい話になっちゃいましたかねぇ、夢……」

山登「おれも松尾くんも、ふつうだったら定年退職の年じゃないですか。退職して再雇用されてみたいな。その年で、こんな話をしてるってことは、おれたちのなかに、まだ子どものこころがあって、夢を見てるわけだよね」

松尾「それはそうでしょう? 対談してサイトで公開してるってこと自体が……オヤジがふたりで酒飲みながら話してるわけじゃないから……ここにあるのは、夢かもしれないねぇ、おれの夢かもしれない……」

山登「最後にこの話を持ってきて、よかったんじゃないの?」

松尾「ほんと、そうかもしれない」

山登「遊びからはじまって最後は夢、構成はすごくよかったねぇ」

 

「自分の人生をデザインする」

「好きなものを見つけて、好きなことのために一生懸命やる」

 山登さんのこの言葉が、印象に残った。

 夢は叶えるものではないのかもしれない。「人生の目標」みたいな感覚でとらえられているけれど、そうではなくて、生きていくために必要な「自分自身のイマジネーション」ではないだろうか。

 これからの時代は、子どもに「将来はどんな職業につきたいか?」なんて聞くのも間違いかもしれない。AIが登場して「10年先になくなる職業」なんて騒がれる時代なのだ。夢を職業に限定する必要もない。

「みんなを幸福にしたい」「人の役に立ちたい」「愛される人になりたい」などなど、抽象的なイメージでもいいし、やっぱり、「遊んで暮らしたい」もりっぱな夢だと思う。

 きみの夢はなに? と、聞かれて「その日暮らし」と答える小学生がいたら、そいつは大物だと思うのだが、どうなのだろう……。